暮らしかがやく整理と防災 フフジカンのぐっちゃんです。
前々回より私が整理収納アドバイザーになるまでの自己紹介をはじめました。
(前回の記事はコチラ)
片付けられないまま大学入学を機に一人暮らしを始める事になった私。
10回の引越し人生、スタートです。
初めての引越し 実家→富山6畳一間
夢の一人暮らし〜✨と思いきや!
男子禁制の女子学生寮で6畳一間に風呂なし。台所・シャワー・トイレ・洗濯機共同利用という、今思えば18歳の乙女にはなかなかハードな環境での一人暮らしスタートでした。
幸い収納は部屋に押入れがしっかり一間あり、一人暮らしを始めたばかりでそんなに物が多くなかったので、片付けようと思えばなんとか片付けられました。
むしろ押入れの戸を外してカーテンに変えたり、コタツをハイベッドの下にしまってみたり、案外収納を楽しんでいたかもしれないです。
4年間の生活を卒業して就職、千葉に引っ越す事になりました。
引越し2回目 富山 6畳一間→千葉 2DK
この時すでに防災に目覚めていたので、離れて暮らす家族が避難してきてもいいようにと広めの間取りを選びました。
ちょっと家具を買い足して、なんとか荷解きも終わらせてすぐに入社。1ヶ月の研修が終わり、初めてのGWは実家に帰ろうと思っていたんです。
が、GW直前に言い渡された配属先は「君、来週から大阪ね」
😱. 😱. 😱
荷解きが終わった荷物を片っ端からダンボールに詰め込み、次住む家も決めないままわずか1ヶ月で千葉を後にする事になりました。
引越し3回目 千葉2DK→大阪1LDK
荷物は引越し業者に預かってもらい、とりあえずウィークリーマンションに1週間入って入居先を探しました。でもこのウィークリーマンションがすごかったんです。
行ってみたらマンションではなくなんとスナックの2階!😵
部屋に入ると1階から大音量でオジ様が歌うシャ乱Qが鳴り響き、眠れぬ夜を過ごすこととなったのです。1日でも早くここから出なければ!!と必死で部屋を探して梅田から1駅のところに1LDKを借りました。
しかしすでに私は千葉で荷造りをしている時からまともに寝ておらず体力の限界に達していました。そして眠いとか荷ほどきが終わらないという理由で会社を休んではいけないと思い込んでいた入社1ヶ月の私。(本当はGWの代休とれば良かったんですけどね)荷解き、途中で諦めました。
開かずのダンボールとの共生生活、片付くわけがありません。あっというまに子どもの頃と同じ、汚部屋生活に戻ってしまいました。そして、この汚部屋生活が次の引越しで人生最大の大失態を生む事になるとは、この時は思いもしなかったのです。
長くなったので続きは次回に。
読んでいただきありがとうございます。